根菜の日常と非日常

根菜(特に大根)好きな管理人が、田舎に移住して出会う日常と非日常を綴る

「あ、流れ変わったな」と人生で感じた瞬間 ~#わたしの転機~

 どもども、スケ半です。

 

この人生を始めて、丸31年間になります。

 

 

 

人生、長く生きていると、

 

ふとした瞬間に

「あ、流れ変わったな」

と感じることがあるのでしょうか。

 

このようなお題が提示されているということは、少なからず世の中には『感じた』ことがある人がいるのでしょう。

 

それは、

入学なのか入社なのか。

結婚なのか出産なのかはたまた離婚なのか。

死別なのか。

 

 

 人生におけるターニングポイント、転機は人それぞれだろう。

 

 

 

僕の場合は、どうなのだろう。

正直に言えば、人生の中で明確に『転機』を感じたことはない。

 

 

しかし、こうやって改めて31年間を振り返れば、

 

『流れが変わったのは、あのあたりだろうな』

 

と思い当たる節がある。

 

 

 

 

僕は、小学生の時こそ人並みに勉強ができたが、中学生へ上がると途端に下から数える方が早くなった。それは小学生のころと違い、『テスト』という明確な審査が導入され、努力した人間が評価されるという非常にわかりやすい基準が設けられたことによるものだ。

 

大人になって教育業界に携わって分かったこと。

中学生で成績が上がらないのは、ただ純粋に努力が足りない。

もちろん、発達系や授業に出られないなどさまざまな要素がある場合は話しが違う。

 

 

少なくとも、僕は純粋に努力が足りなかった。

勉強が嫌いだったのだ。

 

毎日、水泳とゲームに明け暮れて予習復習を怠った。

宿題を度々忘れ、通わせてもらっていた塾にも身が入っていなかった。

 

 

成績は下がる一方だった。

 

 

気付けば、僕は中3になっていた。

周りは志望校を決め始めていた。

僕の中に焦りがあったかといえば、特別な焦りはなかった。

ここでも、危機感が明確に足りていなかった。

 

僕は心のどこかで、なんとかなると思っていたのだ。

今までも、なんとかなっていた。

 

その場を躱すのが得意な子どもになっていた。

 

 

 

秋に差し掛かる頃、僕は恋をした。

彼女は気立ての良い美人だった。

そして、賢かった。

 

僕は、ここで初めて本当の焦りを感じた。

彼女の志望している高校は、名古屋でも有数のお嬢様学校だったのだ。

 

今の自分の実力では到底釣り合う学校には行けなかった。

僕は、初めて本気で勉強を始めた。

 

恋の力というものは恐ろしいもので、自分でも怖くなるぐらい勉強した。今までの空白の時間を埋めるように時間を生み出して勉強に当てた。

 

偏差値は40付近から年末には55を超え始めた。

1月末に帰ってきた模試では、65を示していた。

 

 

 

 

志望校には十分だった。

しかし、滑り止め以外全て落ちた。

 

名古屋では私立3校、公立2校を受験することができる。

その中で受かったのは、偏差値40付近の底辺校のみだった。

 

僕には、内申点が足りなかった。

進路指導で担任の女性教諭に何度も言われた。

 

「塾の成績ではなく、学校の成績で決まる。あなたには内申点が足りないからこの学校は無理。だから推薦の来ているこの学校にしなさい」

 

それでも、僕は反対を押し切って難関私立と中堅私立公立を受験した。

そして、

「先生の言うことを聞かないなら最低この学校だけは受けろ」

と言われた学校だけ受かった。

 

 

 

卒業アルバムにコメントをもらう時間があった。

担任の先生は、みんなにコメントを書いていった。

 

僕の卒業アルバムに書かれたコメントは、

 

 

「もう少し、地に足をつけて生きなさい」

 

 

 

『底辺』という言葉に嫌悪感を感じる人もいるかもしれない。

しかし実際に通った僕の感想は、どれだけ柔らかい表現を用いたとしても、『底辺』以外見つからなかった。

 

入学式で恫喝する生徒指導部の先生、授業中にお菓子を買いに行く生徒、トイレには吸い殻が捨てられている、野球部ではグラブの手入れ用のオイルを下級生に飲ませるいじめ、バスケ部は早弁が義務づけられ昼休みは練習、クラス写真を校庭で撮っていると窓から紙飛行機とトイレットペーパーが投げ入れられる、若い女性の先生の授業でコンドームが放り込まれる。

 

 

そんな学校だった。

授業の内容も、英語はBe動詞と一般動詞の違いをやり、数学では分数の掛け算割り算をやっていた。

それでも、一向に授業は進まなかった。先生は当てる生徒に困ると僕を指名した。

僕は抑揚のない声で正答を述べた。いつもそのタイミングでチャイムが鳴った。

 

僕は、これはきっとなにかの罰なんだと思った。

当然、友達は一人もいなかった。

一度だけ、僕をパシリに使おうとしてきたクラスメイトがいた。

僕は「やめてくれ」と丁寧に断った。腕っぷしで降伏させようとクラスメイトは試みたが、僕は折れなかった。

それから、誰も僕に話しかけなかったし、僕も話しかけなかった。

 

 

そんな中でも、一人だけ味方がいた。

担任の先生だった。

 

先生は、

「なんでこの学校に来たんだ?」と言った。

 

腐りきっていた僕は、

「こんなところに来るつもりはなかったです」と答えた。

 

先生は、そんな僕の姿を見て怒ることなくこう続けた。

「それなら、応援してやるから大学へ行け」

 

 

 

僕は先生から学校の授業よりも内容の濃い補習を受けて大学受験をした。

 

志望校と中堅校と滑り止め。

 

 

三つとも受かった。

 

 

名古屋ではそこそこ有名な大学だが、全国的に見れば三流大学で偏差値も決して高くはなかった。

 

しかし、受かったことが嬉しかった。

 

 

 

僕は入学式を終えた後、アルバイト雑誌を買って一つの求人を見つけた。

 

個別指導の塾講師だった。

 

 

僕はダメ元で電話をかけ、面接を組んでもらった。

 

面接では、高校のことも大学のことも聞かれなかった。

聞かれたのは志望動機だけ。

 

 

僕は、高校の先生のことを話した。

いかに自分のことを救ってくれたかを。

 

それから、面接官は一枚の紙を取り出してこう言った。

 

「ここに簡単な二次関数の問題と間違った答えがある。僕が生徒だと思って解説してほしい」

 

僕は問題を見た。

非常に簡単でオーソドックスな設問1の(3)に出てきそうな問題だった。

間違えている箇所もオーソドックスな計算ミスだった。

 

僕にも経験のあることだった。

 

 

 

僕は解説を始める前にふと気になったことを言った。

 

 

「君は数学が好き?」

 

生徒役の面接官は首を横に振った。

 

「そう。実は僕も数学は苦手でね。よくこうやってミスをした」

 

それから、たどたどしく解説をした。

 

 

 

面接官は合格を示した。

 

 

 

僕は晴れて塾講師になった。

さまざまな生徒の授業をみて、多くの保護者とも話した。

 

勉強が苦手なだけでなく、極度の対人恐怖症で中学に上がりたての女の子の授業をみたこともある。

その子とは、結局中三の夏まで本の読み聞かせをやった。

最初は90分丸々本の読み聞かせ。強弱のメリハリを強めにかけて物語から随筆から。そこから、心情の話し。リアクションが返ってこなくても、それを続けた。

 

女の子は、少しずつ話しをしてくれるようになった。

学校での出来事、物語の感想、家のこと、自分の将来・・・。

 

僕は極力口を挟まずに聞いた。

 

 

彼女は、無事に第一志望に合格した。

 

 

彼女から卒業するときに手渡されたメッセージカードには、

 

 

『先生に教わった私は、こんなにも大きく成長したよ』

 

 

と書かれていた。

僕は、今でもそのカードを大事にしている。

 

 

そして、先日は獣医になりたいと猛勉強していた少年から久しぶりに連絡がきた。

 

「あっという間の6年で、今就活です」

「小論文の試験があるのですが、教わった通りに書けば大丈夫ですか?」

 

嬉しかった。

人生のターニングポイントで連絡をくれることが。

 

なにより、彼が自分の夢を追い続けていることが。

 

 

 

 

人生の転機。

ターニングポイント。

 

僕は、仕事を辞めて移住をした。

もちろん、それは転機だった。

 

しかし僕の印象に残る転機は、思い出せば思い出すほどに

前職での経験と、高校時代の先生。

 それに理解のあるパートナーとの結婚。

 

それに尽きる。

それがあったから今がある。

 

 

 

 

 

僕は今転職活動中だ。

これも新たな転機。

 

転機というのは、何気ないもので日常の些細なところに散りばめられている。

それに気づくかどうか。

 

それが、自分とって転機となるかどうか。

 

そういうもんなんかな、と思う。

 

 

 

#わたしの転機

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